事件屋稼業

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J2千葉ー徳島戦での「少年」への水かけ事件における人の価値観について

サッカーJ2の千葉ー徳島戦でのこの事件について、またもや誰にとっても酷い騒ぎになっています。

headlines.yahoo.co.jp

起きたと思われること(思われていること)を整理すると、以下の通りのようてです。

①ボールボーイがボールをすぐに返さなかった

②徳島の馬渡選手が怒り、ボールをぶつけた後に肩を"こづいて"退場に

③そのボールボーイが「少年」であり、その「少年」に対して、徳島サポータが罵声を浴びせて水をかけたこと

 

①に関しては、「ゲーム運営側が特定チームに肩入れしていいのか?」という議論もありますが、「ホームに有利なゲーム運営など欧米では当たり前」 といった意見もあります。

②・③に関しては、少年の心を傷つけたことへの批判が大きいようです。

 

それに対して思うところです。

①ボールボーイが敢えてボールを返すのを遅らせたとしたら、それはこのゲームに参加している一人のメンバーと思うべきでないか?(サポーターは12人目の選手、というのと同じ)

→「少年」であろうと、プレイヤー・サポーターと対等といえると思う。

(以下の事件とは違いますよね)

WBCでの少年捕球事件が提起する問題は「ネット叩き」や「観戦モラル」以上に「ビデオ判定の権威」(豊浦彰太郎) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

②徳島の馬渡選手はそれに怒ってボールを当ててこづいたことは、退場に価する。

→「少年」であろうとなかろうと、ルール上そうなってると思う。でも、ビデオ見る限り、サッカーやってる人にとっては割と普通な行動。

 

③サポーターが水をかけたことについて、サポーターがチーム選手や審判など対して過激な行動をするというのは、何だか欧米から持ち込まれた文化のようになっていて、ここだけをとって批判するのは筋違いというものに思える。

→もしこれを非難する人は、運営がホームチームに有利な動きをするということも強く非難すべきで、結局これはボールボーイが「少年」であるが故の騒ぎなのだと思う。

 

強く思うことは、ここに登場するすべての人間に大した「悪意」というものはないということ。これは、「馬渡選手」も「水をかけたサポータ」も「少年」も同じに思えています。

プロサッカーという 共通の価値世界の中では、起きていることのすべてがある種の「お約束」的な話であって、本来、当事者達にとっては大した事案ではないように思う。

それが外側の価値から見られた瞬間に、それぞれの行動がパッシングの対象になって、必要以上にそれぞれを傷つけてしまう。

これは、キリスト教の価値観でイスラム教社会の出来事を判断しているようなものかもしれない。

 

わたくしとしては、ホームチームはゲームの運営に不公平があってもいい、とか、フーリガン的な行動を(実は)許容する文化を、コアなファンが誇らしげに肯定しているスポーツって、それってどないやねん、と思います。ただ、これもあくまでも個人の価値観です。