米国大統領選~トランプ勝利で世界はむしろ幸福になるかもしれないと思う件
フロリダ・ミシガンをトランプが制し、どうやら勝負あった感があります。前回のエントリー(米国大統領選〜セオドア・ルーズベルトを評価すること - 事件屋稼業)で"米国民・世界中の人々のために、トランプの落選を祈っています"と書きましたが、果たして何が人々のためなのか、というのは改めて考えさせられてしまっています。
今回の選挙結果を受けてどのような政治的・経済的影響が出るのかは、どの程度の態度にトランプが出るのか・議会はどう動くのかによるため断定することは難しいですが、ひとつだけ間違いなく言えるのは"アメリカ合衆国への尊敬の失墜"、もしくは彼らが掲げる"民主主義と自由"への疑念増大は世界中でおきるであろう、ということです。
これをネガティブと取るかポジティブと取るかは人それぞれかもしれませんが、ひとつの自らが思う"正義"を絶対のものとして押し付けることは、異なる"正義"を持つ人々の幸福を奪うことであります。その"絶対"が揺らぐことは、短期的な混乱を経たとしても、世界が幸福に向かうターニングポイントになるかもしれません。
僕は悪人も堕落した者も我慢できる。だが、自分たちが正しいと単純に信じきっている馬鹿者だけは我慢できない。
(「イタリアからの手紙」塩野七生)
・・・これは確か、アメリカ国民に関する記述だったように思います。望むらくは、今回の選挙結果を通じて、米国国民が自分達の正当性について今一度考え、疑問を持ってくれることを祈っています。
でも、人種差別者と思われている人物を支持してもいいと思う人が多い世の中は、今を生きる僕にとってはとても悲しいですね。
米国大統領選〜セオドア・ルーズベルトを評価すること
米国大統領選が混迷の真っ只中にあります。これとは関係がない文脈で、歴代大統領の中でも評価・人気の高いセオドア・ルーズベルト(第26代大統領)の名言を読む機会がありました。こちらです。
批評家には価値がありません。強い人間のつまづきを指摘したり、立派な仕事をした者にもっとよくすべきだったとケチをつける人間も同様です。
真の称賛は、実際に戦いの場に立って、泥と汗と血で顔を汚し、勇敢に戦い、過ちや失敗を繰り返す人間に与えられるべきです。なぜなら、努力には失敗や過ちは必ず付いて回るからです。彼は、物ごとを成し遂げるために全力を尽くします。偉大な情熱と偉大な献身を知っています。価値ある大義のために全力を傾けます。うまくいけば最後に大勝利を収めます。失敗するとしたら、その時も敢然と戦いつつ敗れます。
だから、そういう人間を、勝利も敗北も知ることのできない無感動で臆病な魂とは、断じて同列に並べるべきではありません
この文章は、赤坂の小沢一郎事務所にも飾られていたということです。
こういった文章を書いたセオドア・ルーズベルトの生涯とはどんなものであったのか、興味を持ってwikipediaを読み込んでみました。
これを読む限り、彼は「大義」のために「利己心」を徹底的に排除して行動するという人生を貫き通した人間であったと言えるようです。
彼はその精力的な個性、成し遂げた業績と合衆国の利益、国の発展期に示したリーダーシップと、「カウボーイ」的な男性らしさでよく知られる
・・・
彼はまた政治家としての業績と同じくらい、軍人、作家、狩猟家、探検家、自然主義者としての名声も併せ持つ。
その行動性は、幼少期に病弱であった過去からも培われたものでもあったようです。
裕福な家庭に生まれたルーズベルトは、博物学好きで喘息に苦しむ虚弱な子供であった。彼は体力の無さに応じて生涯の奮闘を決心した。彼は自宅で学習し、自然に情熱を抱くようになる。
・・・
「私が覚えている限り、それらは全く平凡であった。私はかなり病弱で、かなり臆病な小さい少年だった。そして、とりとめのない読書と博物学が非常に好きで、どんなスポーツにも優れなかった。私は喘息のため学校へ行くことができなかった。神経質で、自意識が強かった。私の記憶では、私の信念はリーダーシップの点で普通の遊び仲間よりかなり下にあったと思う。しかしながら、私には想像的な気質があり、これは時々私の他の短所の埋め合わせをした」(本人の手紙)
「想像力」を高く持っている人間が、利己心を超えて大義のために生きるという判断に至ることは、当然の帰結かもしれません。それによって、彼は自ら行動者として生き抜くことができたと言えるのだと思います。
一方で、彼の「想像力」の及ぶ世界、すなわち「大義」というものには、人間として当然のことながら自らの環境から生まれた価値観から脱することはできておらず、米国という彼が守るべき秩序・世界のみに向けられていたということもできるようです。これは、彼の保守的な"インディアン"対応にも現れているように思えます。
・・・故郷アイダホからワシントン州に強制連行されたままのネ・ペルセ族の窮状について、世論の批判が高まっていたのに対してまったく放置した。ギボン将軍が後押ししたジョセフ酋長の嘆願も、まったく無視し、死ぬにまかせた。「ノーベル平和賞」を受賞したルーズベルトだが、インディアン民族に対しては歴代大統領の絶滅政策を支持していた。
・・・
「私は、"死んだインディアンだけが良いインディアンである"とまでは言いませんよ。しかし、私は10人インディアンがいたとして、そのうち、9人まではそうじゃないかと思っています。それと、私はあまり10人目については真剣に考える気になれませんね」
つまるところ、彼の「大義」は世界の進歩や人々の幸福といったものに向けられてはおらず、米国という秩序を守るという義務感に捧げられているものであった、ということなのかもしれません。それは、次のような彼の発言でも明らかになっています。
「元首は、ただ単に数多い公僕の中の最も重要な一人に過ぎない。元首は、まさにその善行や悪行、国民全般に対し忠誠心があり、有能で不偏不党な奉仕を為す上で効率的であるか不効率であるか、その程度に応じて支持されまた反対されるべきものである」
冒頭の発言は1910年、彼が大統領を辞任した後の演説の中の一節ということです。少なくとも、自分自身の信じた大義に従って生きたという満足を抱いて、彼は生涯を送ることができたのだと思います。それは、同世代の人のみならず、後世の人をも引きつけるものです。
現状、トランプがあれだけ米国の利益を損なうリスクがありながら、ヒラリーと支持率が拮抗しているという事実は、「人は、自分の信念に一貫性のある人の発言のみを信用する」という簡単な法則が当てはまってしまっているのだと思います。人間は経済合理性に基づいて動く、という考え方は、古いようでいて新しい現代に近い思想から生まれる思い込みであって、全くと言っていいほど、実世界には当てはまらないものなのだと思います。
僕自身は、信念を持った思考力・想像力の低い人間(それでいて自らは高いと思っている人間)は、世の中にとって最も害をなすと考えていますので、(害をなすことに変わりはなさそうだといっても)消去法的にヒラリーを支持します。米国民・世界中の人々のために、トランプの落選を祈っています。
非合理的で自己満足な“マナー”
①空いてるエレベータで「お先にどうぞ」
→一瞬の躊躇いが生じて無駄。扉に近い人からさっさと降りて欲しい。
②他に誰もいないエスカレーターで右側をあけるカップル
→誰かの足音聞こえてから空ければよろしい。
③意味なく右折車を先に行かせようとするドライバー
→君が通り過ぎれば右折できるのに止まってパッシングされても…
④見晴らしの良い交差点で赤信号を守る歩行者
⑤混んでる電車で目の前の空席を使わない団体乗客
→他の人はいけない状況なら、車内が混んでしまうから座って欲しい
⑥JALのCA
→仕草や喋り方より、もっと本質的なサービスに気を遣えばいいと思う。
人間は嘘をつく~鳩山由紀夫元首相という人を評価すること
鳩山由紀夫元首相の"投資トラブル"なるものが女性誌に記事化されています。
詳細はもちろんわかりませんが、想像するに、知り合いの会社に気軽にお金と名前を貸したのでしょうか。彼が信用を与えることで、周りに害を与えることがあるということがある以上、自分自身の信用のためにも、きちんと自覚して慎むべきことです。
とはいえ、基本的には各人が、どのような人がかかわっているかではなく、その会社や社長や事業などを判断してお金を出すべきだと思いますので、この責任を(鳩山氏をはじめとした)名を連ねている人々に転嫁することはできないと思います。
それはそれとして、この記事に引用されていたホームページ画像の言葉はいいですね。
たとえ揶揄されても、私には何としても成し遂げたい信念がある
本当に、ネットもマスコミも、えらい勢いで揶揄してますもんね。笑
彼の政治思想全般、 東アジア共同体という構想は実現性の面からも実益の面からもどうかと思うし、お金あるからといって気軽に人の会社に出資・名前貸しちゃうようなところ(※決め付けちゃってますが)も「お坊ちゃまだなぁ」と思って信用できないところですが、過去の様々な言動を見ても、一貫した信念を持って行動しているということはわかります。(「それは大富豪だから出来る生き方だ」と言う人もいて、それもその通りだと思います)
理想を口にすれば、それが結果として伴わなければ"嘘"になる。そんなことが首相時代にも重なっていたように思います。「最低でも県外」が実現しなかったことなどにもとても批判が大きいですが、だからといってできることしか口にしなかったり、言質を取らせないことばかりに集中している政治家というのもどうかと思います。
普天間基地の移設問題を時系列で整理してみた - それ、僕が図解します。
一番尊敬できるのは、一般的に余裕のある環境になくとも、本当のリスクを負って信念を貫けている人です。でも、ただ流されて、目的を持たず、人の行動を批評ばかりしているような人(こんなブログを書いている僕とか)とは比べ物にならない、”本物の人間"だと思います。
彼とは違う、いろんな立場・思想・価値観の人が、同じように信念に基づいた行動を取ることができれば、日本はもっとよくなります。その意味で、僕は鳩山由紀夫氏を評価します。
追記:こんな記事も見ました。
人間は嘘をつくように作られているという話
人は生物の中で、唯一の”嘘”をつく生き物です。
子供の嘘は想像力の発露だとも言います。精神の発育上も良いことなので、無下に否定してはいけない、だとかなんだとか聞いたことがありますが、大人の嘘も様々です。
本格的に人を騙して利益を得ようとする嘘もあります。詐欺とも言ったりしますが、もっとライトなものは日常的に起きています。
ただ自分を大きく見せようとする嘘もあります。カッコよく思われたり、頭よく思われたりしたいという願望。まあ、これもよくある話です。怒られたくないから嘘をつく、みたいのも同じ種類ですね。
話した時は本当のことと思っていたけど、それが実行できなくて嘘になってしまうケースもあります。「それは嘘とは呼ばないのでは?」と思う人もいそうですが、客観的に見てしまえば嘘になるでしょう、そもそも、”口”に”虚”と書いて”嘘”となるのですから、話した内容が”実”を伴わなければ”嘘”と言ってしまってよいのかと思います。
ただの物忘れが嘘になるケースもありそうです。若い人にはわからないでしょうけれども、年を取ってくると現実と妄想の境目が段々曖昧になっていくし、物忘れもひどくなったりするのをいろんな想像で補ってたりするのかもしれません。
一度嘘をつくと、職業的な詐欺師を除いては、それを”嘘”と自ら認識しなくなったりして、それを常習的に繰り返してしまいがちになりますので、注意が必要です。嘘をつく時にも、明確に自覚しておく必要があります。
嘘をつかないために一番良い方法は、”滅多に喋らない”ことです。できない約束は絶対にしない、株価の話も天気の話も絶対にしない、とにかく無口に、口を開くとしたら”不器用ですから”くらいだけ喋っていればOKだと思います。
もしくは、言ったことを必ず、どんな不利益を被ったとしてもやり遂げることです。意地っ張り・痩せ我慢ということになりますね。なかなか難しそうですが、やってやれないこともないでしょう。
どちらの方向でも、極力嘘をつかないように努力している人のことが僕は好きですね。結果として、あんまりにお喋りだったり、すごく自分について素敵なことをいっぱい喋る人は、嫌いな人が多いです。大体嘘つきになるので。
(・・・この記事は全体を通じて、医学的にも文化的にもまったくの根拠なしです。悪しからず。)
MERYとwelq〜キュレーションサイト運営会社の企業理念を読んでみたこと
世の中に有象無象のキュレーションサイトが乱立して人気です。
【最新保存版】続々登場中!国内で人気のキュレーションサイトまとめ。 - NAVER まとめ
一方で、その記事の違法性(グレー)やら質の悪さやらも頻繁に話題になります。
僕自身は、ネットから信頼できる情報を得るために必須なことは、あらゆるキュレーションサイト・バズメディアを使わないこと、と思っている方ではあるとはいえ、それについては人ぞれぞれの自由ですし、発信する側の自由というものもあるでしょう。
でも、こういうのを提供している会社って、いったい何のためにやっているのだろう?と思ってしまうことはありますね。ちょっと、企業のホームページを見てみました。
iemo株式会社概要 | iemo[イエモ](Welqの運営会社)
『家をもっと。暮らしをもっと。』
変えたいニーズを顕在化させ、
変えるチカラを持つ人との一期一会を創出する。
人々の住まいに彩りを加え、
百人百様の暮らしを持つ、色鮮やかな日本へ。
peroli, Inc. 株式会社ペロリ(MERYの運営会社)
『Human touch to Internet』
インターネットの発展で、社会はめまぐるしく進化しています。
しかし、溢れかえる大量の情報の中で、感性やセンスのような
人間らしい情報はまだまだ整理されていないと考えています。
私たちは人間らしい情報を整理することで、インターネットを
より幸せな場所にしていきます。
後付けの企業スローガンって、格好悪いと思うんですけどね。サービスそのものを否定するわけではありませんが、本当にそういう世界・日本を作りたいなら、こういうサービスを作らないだろうな、とは思います。
他にもいくつか見たのですが、ただフワっとしているパターンか、自分たちの思いついたビジネスから逆引きしているパターンか、どちらかのようです。やりたいこと・実現したいことがあって何かのビジネスをやっているという企業は少なそうですね。
老舗のnanapiさんなんかは、なかなかいいです。
株式会社nanapi(ナナピ) | 株式会社nanapiトップ
できることをふやす(ハウツーで人生を豊かに)
できることをふやすのは(少なくとも)いいことなんだろう、と思います。
大川小学校 津波訴訟~教師の義務や責任はどこまでのものなのか
大川小の津波訴訟、市や県の過失を認める判決が出ました。
人を殺したほうにも殺されたほうにも遺族がいて・・・という程に客観的に世の中を見ることができていない僕でも、このような大震災にあって、死んだ生徒の遺族が死んだ教師の責任を巡って裁判を起こさねばならなくなるというのは、なんともやる方ない気持ちになります。
そもそも、教師というものが、大震災にあたって判断を過たずに生徒の安全を守ることまでもが責任の範囲に入っているとしたら、これはもう、なりうる人間は世の中にいないのではないか、と思えてしまいます。僕が生徒の遺族になっていたら、この原告団に参加することは、とても複雑な判断になると思います。できればこのような時には、裁判というものにはよらない解決方法がないものだろうか、と。
市や県が賠償を負うことには反対しませんが、これによって残された教師の側の遺族の方が自らを責めて心をさらに痛める様なことにはなって欲しくないな、と思っています。