非合理的で自己満足な“マナー”
①空いてるエレベータで「お先にどうぞ」
→一瞬の躊躇いが生じて無駄。扉に近い人からさっさと降りて欲しい。
②他に誰もいないエスカレーターで右側をあけるカップル
→誰かの足音聞こえてから空ければよろしい。
③意味なく右折車を先に行かせようとするドライバー
→君が通り過ぎれば右折できるのに止まってパッシングされても…
④見晴らしの良い交差点で赤信号を守る歩行者
⑤混んでる電車で目の前の空席を使わない団体乗客
→他の人はいけない状況なら、車内が混んでしまうから座って欲しい
⑥JALのCA
→仕草や喋り方より、もっと本質的なサービスに気を遣えばいいと思う。
人間は嘘をつく~鳩山由紀夫元首相という人を評価すること
鳩山由紀夫元首相の"投資トラブル"なるものが女性誌に記事化されています。
詳細はもちろんわかりませんが、想像するに、知り合いの会社に気軽にお金と名前を貸したのでしょうか。彼が信用を与えることで、周りに害を与えることがあるということがある以上、自分自身の信用のためにも、きちんと自覚して慎むべきことです。
とはいえ、基本的には各人が、どのような人がかかわっているかではなく、その会社や社長や事業などを判断してお金を出すべきだと思いますので、この責任を(鳩山氏をはじめとした)名を連ねている人々に転嫁することはできないと思います。
それはそれとして、この記事に引用されていたホームページ画像の言葉はいいですね。
たとえ揶揄されても、私には何としても成し遂げたい信念がある
本当に、ネットもマスコミも、えらい勢いで揶揄してますもんね。笑
彼の政治思想全般、 東アジア共同体という構想は実現性の面からも実益の面からもどうかと思うし、お金あるからといって気軽に人の会社に出資・名前貸しちゃうようなところ(※決め付けちゃってますが)も「お坊ちゃまだなぁ」と思って信用できないところですが、過去の様々な言動を見ても、一貫した信念を持って行動しているということはわかります。(「それは大富豪だから出来る生き方だ」と言う人もいて、それもその通りだと思います)
理想を口にすれば、それが結果として伴わなければ"嘘"になる。そんなことが首相時代にも重なっていたように思います。「最低でも県外」が実現しなかったことなどにもとても批判が大きいですが、だからといってできることしか口にしなかったり、言質を取らせないことばかりに集中している政治家というのもどうかと思います。
普天間基地の移設問題を時系列で整理してみた - それ、僕が図解します。
一番尊敬できるのは、一般的に余裕のある環境になくとも、本当のリスクを負って信念を貫けている人です。でも、ただ流されて、目的を持たず、人の行動を批評ばかりしているような人(こんなブログを書いている僕とか)とは比べ物にならない、”本物の人間"だと思います。
彼とは違う、いろんな立場・思想・価値観の人が、同じように信念に基づいた行動を取ることができれば、日本はもっとよくなります。その意味で、僕は鳩山由紀夫氏を評価します。
追記:こんな記事も見ました。
人間は嘘をつくように作られているという話
人は生物の中で、唯一の”嘘”をつく生き物です。
子供の嘘は想像力の発露だとも言います。精神の発育上も良いことなので、無下に否定してはいけない、だとかなんだとか聞いたことがありますが、大人の嘘も様々です。
本格的に人を騙して利益を得ようとする嘘もあります。詐欺とも言ったりしますが、もっとライトなものは日常的に起きています。
ただ自分を大きく見せようとする嘘もあります。カッコよく思われたり、頭よく思われたりしたいという願望。まあ、これもよくある話です。怒られたくないから嘘をつく、みたいのも同じ種類ですね。
話した時は本当のことと思っていたけど、それが実行できなくて嘘になってしまうケースもあります。「それは嘘とは呼ばないのでは?」と思う人もいそうですが、客観的に見てしまえば嘘になるでしょう、そもそも、”口”に”虚”と書いて”嘘”となるのですから、話した内容が”実”を伴わなければ”嘘”と言ってしまってよいのかと思います。
ただの物忘れが嘘になるケースもありそうです。若い人にはわからないでしょうけれども、年を取ってくると現実と妄想の境目が段々曖昧になっていくし、物忘れもひどくなったりするのをいろんな想像で補ってたりするのかもしれません。
一度嘘をつくと、職業的な詐欺師を除いては、それを”嘘”と自ら認識しなくなったりして、それを常習的に繰り返してしまいがちになりますので、注意が必要です。嘘をつく時にも、明確に自覚しておく必要があります。
嘘をつかないために一番良い方法は、”滅多に喋らない”ことです。できない約束は絶対にしない、株価の話も天気の話も絶対にしない、とにかく無口に、口を開くとしたら”不器用ですから”くらいだけ喋っていればOKだと思います。
もしくは、言ったことを必ず、どんな不利益を被ったとしてもやり遂げることです。意地っ張り・痩せ我慢ということになりますね。なかなか難しそうですが、やってやれないこともないでしょう。
どちらの方向でも、極力嘘をつかないように努力している人のことが僕は好きですね。結果として、あんまりにお喋りだったり、すごく自分について素敵なことをいっぱい喋る人は、嫌いな人が多いです。大体嘘つきになるので。
(・・・この記事は全体を通じて、医学的にも文化的にもまったくの根拠なしです。悪しからず。)
MERYとwelq〜キュレーションサイト運営会社の企業理念を読んでみたこと
世の中に有象無象のキュレーションサイトが乱立して人気です。
【最新保存版】続々登場中!国内で人気のキュレーションサイトまとめ。 - NAVER まとめ
一方で、その記事の違法性(グレー)やら質の悪さやらも頻繁に話題になります。
僕自身は、ネットから信頼できる情報を得るために必須なことは、あらゆるキュレーションサイト・バズメディアを使わないこと、と思っている方ではあるとはいえ、それについては人ぞれぞれの自由ですし、発信する側の自由というものもあるでしょう。
でも、こういうのを提供している会社って、いったい何のためにやっているのだろう?と思ってしまうことはありますね。ちょっと、企業のホームページを見てみました。
iemo株式会社概要 | iemo[イエモ](Welqの運営会社)
『家をもっと。暮らしをもっと。』
変えたいニーズを顕在化させ、
変えるチカラを持つ人との一期一会を創出する。
人々の住まいに彩りを加え、
百人百様の暮らしを持つ、色鮮やかな日本へ。
peroli, Inc. 株式会社ペロリ(MERYの運営会社)
『Human touch to Internet』
インターネットの発展で、社会はめまぐるしく進化しています。
しかし、溢れかえる大量の情報の中で、感性やセンスのような
人間らしい情報はまだまだ整理されていないと考えています。
私たちは人間らしい情報を整理することで、インターネットを
より幸せな場所にしていきます。
後付けの企業スローガンって、格好悪いと思うんですけどね。サービスそのものを否定するわけではありませんが、本当にそういう世界・日本を作りたいなら、こういうサービスを作らないだろうな、とは思います。
他にもいくつか見たのですが、ただフワっとしているパターンか、自分たちの思いついたビジネスから逆引きしているパターンか、どちらかのようです。やりたいこと・実現したいことがあって何かのビジネスをやっているという企業は少なそうですね。
老舗のnanapiさんなんかは、なかなかいいです。
株式会社nanapi(ナナピ) | 株式会社nanapiトップ
できることをふやす(ハウツーで人生を豊かに)
できることをふやすのは(少なくとも)いいことなんだろう、と思います。
大川小学校 津波訴訟~教師の義務や責任はどこまでのものなのか
大川小の津波訴訟、市や県の過失を認める判決が出ました。
人を殺したほうにも殺されたほうにも遺族がいて・・・という程に客観的に世の中を見ることができていない僕でも、このような大震災にあって、死んだ生徒の遺族が死んだ教師の責任を巡って裁判を起こさねばならなくなるというのは、なんともやる方ない気持ちになります。
そもそも、教師というものが、大震災にあたって判断を過たずに生徒の安全を守ることまでもが責任の範囲に入っているとしたら、これはもう、なりうる人間は世の中にいないのではないか、と思えてしまいます。僕が生徒の遺族になっていたら、この原告団に参加することは、とても複雑な判断になると思います。できればこのような時には、裁判というものにはよらない解決方法がないものだろうか、と。
市や県が賠償を負うことには反対しませんが、これによって残された教師の側の遺族の方が自らを責めて心をさらに痛める様なことにはなって欲しくないな、と思っています。
子供の頃の夢を叶えるということ
僕ら世代にも懐かしい、今井美樹さんの“PRIDE”という歌の一節に、こんな歌詞があります。
“いつか私も空を飛べるはず ずっと信じていた”
僕自身も、子供時代に夢見たことをいつしか自然と諦めて、また違う夢や目標を持つようになって今に至っています。(もしくは、ただ諦めただけで、それを持てずに生きています)
そう思うと、最後に歌われる
“私は今 貴方への愛だけに 笑って 泣いてる”
というフレーズも、夢を諦めた大人の逃避のように思えてしまい、(おそらくは歌詞を書いた意図とは異なり)なんだか切なくなってしまいます。
子供時代に夢見たことこそが、幾つになっても自分が本当にやりたいことなんじゃないか、と、そんな思いがする今日この頃で、「僕は子供時代に何になりたかったんだろう?」と考えたりすることも多いのです。
でも、夜に見る夢と同じように、なかなか思い出すことは出来ないのが残念なことです。それを正確に覚えているということは、それを叶えようとし続けていることと等しいのかもしれません。
少なくとも、僕は空を飛びたいと思ったことは一度もないのだと思うのですが、今自分が本当にやりたいと思っていることが、子供時代に思っていたことと一致した時、全ての謎が解けるのでないか、と、そんな風にも思えています。
“あの頃の未来に 僕らは立っているのかな?”(SMAP“夜空ノムコウ”)
立っている人こそ、幸せな人と言えるのでしょう。今からでもそうあることを願っています。
高樹沙耶の逮捕〜大麻合法化の是非を考えること・ロボットにならないこと
高樹沙耶さんが逮捕されましたね。
この夏の参議院選挙に、医療用大麻の解禁を訴えてエントリーしていました。
【参院選・東京】「相棒」出演の女優・高樹沙耶氏のぶっ飛び選挙戦、公約は医療大麻の解禁「覚醒剤とは区別すべきです」(1/2ページ) - 産経ニュース
先日は、大麻栽培を村おこしにと取り組んでいた会社代表が逮捕されています。
「大麻で町おこし」取り組んでいた鳥取県智頭町の会社代表が大麻取締法違反容疑で逮捕「使用目的で所持」(1/2ページ) - 産経ニュース
大麻が規制の対象であるべきかどうかはきちんと研究される必要がありますね。現在日本で規制されているからダメ、というのも、世界では認められているからいいのではないか、というのも、(当たり前ですが)どちらも意見とは言えないものですし。
それはそれとして、医療用大麻は認められるべきという主張の人が(医療用でなく自らのために)大麻を使用することになるというのは、まあ当然そうなるなあ、と思うくらいで、特に悪いともなんとも思わないです。
「法律違反なんだからやっちゃいかんだろ」という意見も多数見ますし、警察が逮捕するのもそれはそれでいいのですが、法律を破ったということだけで世の中の人が彼女を非難するのはおかしいでしょう、と思います。
一体それが世の中にどのような影響をもたらすのか、という点をきちんとみてから、評価をすべきだと思います。
みんなが法律を無視するような文化ができたら世の中が壊れてしまう、という意見もみましたが、確かにそういう面はあるかもしれませんね。
その意味では、人がいちいち考えて行動しなくてもすむようにするために、いろんなルール・規制は定められているということかもしれません。
でも、何が悪くて何が良いのかというような他人や事件に対する個々人の評価くらいは、世の中のルールを参照するのではなく、自分の信念とか良心などというものに従って考えたいものだな、と思います。
そうでなくては、ロボットと変わりのない存在になってしまいますから。
ご本人は否認されているということなので、事実が定まっているものではありませんが、一般的な意見としてこう思います。