事件屋稼業

気持ちに素直に日々を書いていきます

大川小学校 津波訴訟~教師の義務や責任はどこまでのものなのか

大川小の津波訴訟、市や県の過失を認める判決が出ました。

www3.nhk.or.jp

人を殺したほうにも殺されたほうにも遺族がいて・・・という程に客観的に世の中を見ることができていない僕でも、このような大震災にあって、死んだ生徒の遺族が死んだ教師の責任を巡って裁判を起こさねばならなくなるというのは、なんともやる方ない気持ちになります。

そもそも、教師というものが、大震災にあたって判断を過たずに生徒の安全を守ることまでもが責任の範囲に入っているとしたら、これはもう、なりうる人間は世の中にいないのではないか、と思えてしまいます。僕が生徒の遺族になっていたら、この原告団に参加することは、とても複雑な判断になると思います。できればこのような時には、裁判というものにはよらない解決方法がないものだろうか、と。

市や県が賠償を負うことには反対しませんが、これによって残された教師の側の遺族の方が自らを責めて心をさらに痛める様なことにはなって欲しくないな、と思っています。

子供の頃の夢を叶えるということ

僕ら世代にも懐かしい、今井美樹さんの“PRIDE”という歌の一節に、こんな歌詞があります。

“いつか私も空を飛べるはず ずっと信じていた”

僕自身も、子供時代に夢見たことをいつしか自然と諦めて、また違う夢や目標を持つようになって今に至っています。(もしくは、ただ諦めただけで、それを持てずに生きています)

そう思うと、最後に歌われる

“私は今 貴方への愛だけに 笑って 泣いてる”

というフレーズも、夢を諦めた大人の逃避のように思えてしまい、(おそらくは歌詞を書いた意図とは異なり)なんだか切なくなってしまいます。

子供時代に夢見たことこそが、幾つになっても自分が本当にやりたいことなんじゃないか、と、そんな思いがする今日この頃で、「僕は子供時代に何になりたかったんだろう?」と考えたりすることも多いのです。

でも、夜に見る夢と同じように、なかなか思い出すことは出来ないのが残念なことです。それを正確に覚えているということは、それを叶えようとし続けていることと等しいのかもしれません。

少なくとも、僕は空を飛びたいと思ったことは一度もないのだと思うのですが、今自分が本当にやりたいと思っていることが、子供時代に思っていたことと一致した時、全ての謎が解けるのでないか、と、そんな風にも思えています。

“あの頃の未来に 僕らは立っているのかな?”(SMAP夜空ノムコウ”)

立っている人こそ、幸せな人と言えるのでしょう。今からでもそうあることを願っています。

高樹沙耶の逮捕〜大麻合法化の是非を考えること・ロボットにならないこと

高樹沙耶さんが逮捕されましたね。

news.yahoo.co.jp

この夏の参議院選挙に、医療用大麻の解禁を訴えてエントリーしていました。

【参院選・東京】「相棒」出演の女優・高樹沙耶氏のぶっ飛び選挙戦、公約は医療大麻の解禁「覚醒剤とは区別すべきです」(1/2ページ) - 産経ニュース

先日は、大麻栽培を村おこしにと取り組んでいた会社代表が逮捕されています。

「大麻で町おこし」取り組んでいた鳥取県智頭町の会社代表が大麻取締法違反容疑で逮捕「使用目的で所持」(1/2ページ) - 産経ニュース

大麻が規制の対象であるべきかどうかはきちんと研究される必要がありますね。現在日本で規制されているからダメ、というのも、世界では認められているからいいのではないか、というのも、(当たり前ですが)どちらも意見とは言えないものですし。

それはそれとして、医療用大麻は認められるべきという主張の人が(医療用でなく自らのために)大麻を使用することになるというのは、まあ当然そうなるなあ、と思うくらいで、特に悪いともなんとも思わないです。

「法律違反なんだからやっちゃいかんだろ」という意見も多数見ますし、警察が逮捕するのもそれはそれでいいのですが、法律を破ったということだけで世の中の人が彼女を非難するのはおかしいでしょう、と思います。

一体それが世の中にどのような影響をもたらすのか、という点をきちんとみてから、評価をすべきだと思います。

みんなが法律を無視するような文化ができたら世の中が壊れてしまう、という意見もみましたが、確かにそういう面はあるかもしれませんね。

その意味では、人がいちいち考えて行動しなくてもすむようにするために、いろんなルール・規制は定められているということかもしれません。

でも、何が悪くて何が良いのかというような他人や事件に対する個々人の評価くらいは、世の中のルールを参照するのではなく、自分の信念とか良心などというものに従って考えたいものだな、と思います。

そうでなくては、ロボットと変わりのない存在になってしまいますから。

ご本人は否認されているということなので、事実が定まっているものではありませんが、一般的な意見としてこう思います。

宇都宮爆発〜「国家権力は、間違った判断でも生殺与奪の権利を与えられている」

mainichi.jp

僕もfacebookで書き込みを拝見しました。事実関係を調べることは僕にはできなそうだし、今のところするつもりもないのでそこへのコメントは控えますが、爆発を引き起こして自殺した方が書かれている

「国家権力は、間違った判断でも生殺与奪の権利を与えられている」

というのは、当然のテーゼではありますがその通りですね。それを運用する人に個人の意思や悪意が介在しなくても、人を“ルール”に従って殺すことができるというのは、とても危なっかっしいことだも思います。国の命令で任務によって死することもありうる元自衛官の方が書かれていることにも考えさせられます。

裁判・法律は誰にとっても公平に運用される必要があるという前提で制度が構築されていますが、現実にはそうでないのかしれません。この制度運用上の不備は、どうにもならないだろうという諦めで、手付かずに改善されずにきてしまっているようです。事実はどうあれ、本人がそう感じていたとしたら、無念であったことでしょう。

人を事故に巻き込んだかどうかを問わず、自殺は無意味で無価値でやってはならないことだと思いますが、それによってこの問題を少しでも改善されることを望まれていたのなら、問題の在り処をきちんと生きている我々が認識してあげることが、まずはせめてもの死者への慰めかもしれません。

電通新入社員自殺について〜“地下室の手記”

そうなんだよなー、と思うことがこの記事に書かれていました。

「広告業界という無法地帯へ」 - 月刊ショータ

この箇所です。

いいですか、恐ろしいのは電通でもNHKでも安倍政権でもない。どこにでもいる普通の人たちだ。自分の存在意義を誇示するがために、他人の時間を奪うエライさんだ。自分の身がかわいくて、上司からの無理難題をそのまま下請けに押し付けるサラリーマンだ。それを唯唯諾々と飲み込んで徹夜してしまう労働者たちだ。

一方で、こんなことも書かれていました。

電通はちがう。もっとくだらなくて、どうでもいい仕事じゃないか。それに命を懸けているフリをしないと仕事を獲得できないインチキな仕事なだけじゃないか。

広告代理店の仕事がどうでもいい仕事なのかどうか、僕にはわからないのですが、手段・プロセスの目的化というか、ただ「命を懸けているフリ」をすることだけが自分の仕事と認識した時、それは「穴を掘っては埋める」だけの作業になり、人の精神と肉体を圧迫していくのだと思う。

自分の選択で自由に活動していれば人間の心身は病まない、というとメンタル系の健康法みたいに聞こえますが(それ自体も、否定するものではないですが)、そういうものなのかもしれません。

昔は僕自身も「ストレスに応じてお金がもらえるんだ。逆にストレスがなければ仕事じゃないし意味がない」などと人に言ってたことがありますが、それは全くの間違いですね。本当の仕事は、自分自身も価値があると思うことであって、根本的にストレスとは無縁のものなのだと思います。(その周辺にストレスが発生することがあっても)

それはそれとして、亡くなった社員の方のTwitterやらを取り上げて何かと取りざたするのは悪趣味ですね。世の中にはいろんな意見を持った様々な人が現存するのですから、そういうやり取りは生きている人間同士でやればよい。それならば、なにがしかの相互作用を生む可能性も(少しは)あると思うので。

でも、大概の場合、それも「穴掘って埋めるだけ」の作業と変わりはないかもしれないです。

棋士三浦九段の住む“美しい世界”

羽生三冠「疑わしきは罰せず」妻のツイッター通じ三浦九段不正疑惑で見解

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161020-00000091-spnannex-ent


三浦九段の将棋ソフト疑惑の件、ドンドン芸能ニュースとしておいしいネタになっていきますね。この業界の記者さん達はとても優秀なのだなぁ、といつもながら感心させられます。


今回の件に関する将棋連盟の対応は割とエキセントリックだったと思います。

●通念上は、証明する責任は連盟にあって、三浦九段に反証責任はないのかなと思う。明確な不正の証明ができなかった以上、処分しないでおくこともできた。

●仮に不正を働いていたとして、そこからチェック体制を整えれば、結果として三浦九段の成績も落ちるのでは。(ただ、全体局で整えるのは無理なのかどうか)

竜王戦への影響というものの、そこから金属探知なりの運用を導入すればよかったわけで、その前に処分しても問題を小さくできない。

●その意味で、問題を小さくするための対応には全くなっていない(実際に大きくなっている)


…あまり合理的な判断とも思えないわけですが、専門技能を持つ人全般に言えることとして社会とのコミュニケーションスキルは成長の必要に迫られず生きてきているという面もあり、その判断も自ずと違ったものになるのは当然のことかもしれません。

そもそも、そういった人々の集団の中での判断基準が世の中の平均的なそれと合っている必要は全くなく、「疑わしきは罰せず」といった原則の適用などは無意味なのであろう、と想像します。そして、それはまた、人々が互いの感性に影響し合って生きる、ある種の美しい世界であるな、とも感じたりします。


三浦九段の処分は出場停止と聞いています。きちんと復帰されることを期待してます。

沖縄の“土人”問題について

大阪府警の機動隊員の“暴言”が問題になってますね。


「魂の殺人だ」 大阪府警前 50人、派遣撤退求める

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161020-00000002-ryu-oki


一方で、職務に対して“お疲れ様”的な投稿をしま大阪府知事の件も報道されています。

<沖縄ヘリパッド>「土人」発言機動隊員に「出張ご苦労様」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161020-00000006-mai-soci


ネット上では、機動隊員を非難する意見やら、逆張りの意見、ただ過激な意見やらが出ているのではと思いますが、問題の真ん中はどうなのでしょうね?


そもそも土人の意味を調べるとこうなります。

土人(どじん)は、その土地に土着の人間のこと。ほぼ英語のnativeネイティブ)に等しい。転じて、野蛮、未開の生活形態を残す先住民族を指す。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BA%BA

●定義を見るまでもなく「土人は侮蔑的な意味で使われていない」という主張には、状況的に無理があるのでしょう。

●大した思想的な根拠がなくとも、興奮状態においては相手を貶める発言をしてしまうことがあるのは、経験から想像できる人も本当は多いのでしょう。(格闘技とかやってて「死ねやクソがぁ!」なんて叫びながら殴りかかっても、本当に相手をクソと思ってるわけではないかもしれません」

●その意味では、詳しい状況はわかりませんが、職務遂行する中で、自分を奮い立たせるための掛け声くらいに捉えることはできるでしょう。

●一方で、「土人」って僕らにとっては一般的な言葉ではないと思うし、当人が普段からそのような考えを持っていることも、やはりそれはあるのだと思います。

●生まれた場所や肌の色で人を区分けする発想は前時代的で、一番持って欲しくない考え方ですが、未だに根強いのだとしたら、そこを何とかしたい。

●今回の件で一番問題なのは、発言をしたことや、その発言主が公の仕事に就く人であることでもなく、このニュースを読んだ人の多くが内心「大した話じゃないな」と思うような社会ではあることではないかと。


そんな風に思っています。